1970年代~1980年代のトライアルを語るに、この人を紹介しなくていけません・・
往年の名選手、加藤文博氏だ!彼は若いころは、KAWASAKIに入社してモトクロスを開始。
その後モトクロスは怪我で断念したが、日本で盛んになりつつ有ったトライアルに出会い、転向した。
1975年にはMFJの全日本チャンピオンを獲得して、翌年には世界選手権にも出場を果たした。
イギリスでは、かのドン、スミスの知己を得、世界のレベルを目の当たりにしたのだった。
私が加藤選手を初めて見たのは、1983年の鶏頂山の全日本選手権です。
当時は丁度、YAMAHAに乗ってる各選手が・・シーラカンス木村こと、木村治男選手等が開発した
TY250Rのプロトタイプに乗っていました。加藤選手の他、中川選手、畑山選手、等が居ました。
1987年には、旅行で関西方面に出かけた際に加藤選手のお店『ライダースサロンKATO』
へ行った事もありました。
生憎オーナーである加藤氏は不在だったが、綺麗な奥様が我々を快く迎えてくれた。
群馬から来たと・・言うと・・・良く来てくれましたねぇ~~・・って・・ワッペンとステッカーを頂いた。
これは、今でも自分にとってお宝なのである。お店では珍品が揃っていた。
関東では先ず購入できない物等が沢山有った。
ハンドルのアッパーホルダーの所に付ける皮製のカバー等は、地元に帰って自慢の一つだった。
加藤選手は今、ロールアウトhttp://www.rollout.jp/と言うパラグライダースクールの校長さんとして
活躍してる事を付け加えて置きます。
往年の名選手、加藤文博氏だ!彼は若いころは、KAWASAKIに入社してモトクロスを開始。
その後モトクロスは怪我で断念したが、日本で盛んになりつつ有ったトライアルに出会い、転向した。
1975年にはMFJの全日本チャンピオンを獲得して、翌年には世界選手権にも出場を果たした。
イギリスでは、かのドン、スミスの知己を得、世界のレベルを目の当たりにしたのだった。
私が加藤選手を初めて見たのは、1983年の鶏頂山の全日本選手権です。
当時は丁度、YAMAHAに乗ってる各選手が・・シーラカンス木村こと、木村治男選手等が開発した
TY250Rのプロトタイプに乗っていました。加藤選手の他、中川選手、畑山選手、等が居ました。
1987年には、旅行で関西方面に出かけた際に加藤選手のお店『ライダースサロンKATO』
へ行った事もありました。
生憎オーナーである加藤氏は不在だったが、綺麗な奥様が我々を快く迎えてくれた。
群馬から来たと・・言うと・・・良く来てくれましたねぇ~~・・って・・ワッペンとステッカーを頂いた。
これは、今でも自分にとってお宝なのである。お店では珍品が揃っていた。
関東では先ず購入できない物等が沢山有った。
ハンドルのアッパーホルダーの所に付ける皮製のカバー等は、地元に帰って自慢の一つだった。
加藤選手は今、ロールアウトhttp://www.rollout.jp/と言うパラグライダースクールの校長さんとして
活躍してる事を付け加えて置きます。
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