騒ぎが始まったのは雨雲が低く垂れ込めた真冬の土曜の午後であった・・
昭和47年(1972年)2月19日の事である。
その日の霞ヶ関人事院ビル5階の警視庁警備局の空気は朝からピリピリと張り詰めてて居た・・
それもその筈、此のところ全国を叉に掛けて銀行や郵便局など金融機関の連続強盗を働き
また、警察署、交番、警察幹部の私邸及び家族を狙う爆弾テロ等、血まみれの犯行を重ね
全国警察が血眼になって行方を追っていた連合赤軍兵士4人が、国鉄軽井沢駅に姿を現し
売店の小母さんの通報で軽井沢署員に逮捕されたという重大な通報が入ったからだ・・
著・・佐々淳之『連合赤軍浅間山荘事件事件』抜粋

これが世に言う『浅間山荘事件』の始まりだった・・
当時のTV局は、大体全てに於いてこの浅間山荘事件を報道していた・・
そんな報道を見ながら我々は、日夜・・ポンコツバイクの整備に明け暮れていた・・
厨房・・2年の私は・・仲間とバックボーンフレームのSUZUKIの50ccのバイクをモトクロッサータイプに改造すべく
必死でした・・アクセルワイヤ-を逆に挿入し・・拭かすと止まり、戻すと拭け上がると言う珍事には
今でも仲間内からの語り草になっている・・