バイク命”呆れたおやぢのブログ

気が向いた時しか更新できませんが宜しくお願い致します 尚、帰宅が遅くなる為返コメが滞る事が多々有ります事をお許し下さい。

2006年09月

スーパーGT選手権は激戦を極めて居ます。昨日のTVを観てやっと理解しました^^
走ってる車に誰が乗っているか・・皆目?だし・・チーム監督は有名人揃いだし・・
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余興が進む中・・行って参りました♪コレクションホール
今回は昔懐かしい名車と言う事で・・
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一瞬見ただけで・・オーラを感じる・・Z432
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お約束の2000GT
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ベレットGTR・・昔は鈴鹿で活躍しました・・
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SUBARU1000・・近い時代に1100スポーツってぇ~のが有りました・・
ありゃ~格好良かったなぁ・・・整備性は最悪だったが・・


久々に動画を更新したが・・果たして・・成功したのか・・どうか・・
フシガス画像で有ります・・・
酔っ払い状態で果たして・・更新出来たのやら・・

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ヤマティーさん”勝手ながら・・トラックバックさせて下さいねっ☆

先日の土曜日は休出でしたが、工場の中・・一人ぼっちだったので、イザっ”アタックチャァ~~~ンス!!(笑)
随分前から作る、作ると言って・・大分お待ち頂いて居ましたが・・・

ここで、簡単に製作過程を・・
先ずはCADを使用し、フォントを選びます。CAD自体にフォントの種類は限られていますので、
予め、文字ソフトをブチ込んで有ります”早速・・あれや、これや、原版の文字に近づけます。
フォントが決まったら、お次は平面に描いた図形に文字を収めます。
只の平板では芸も無いので・・今回は板を鋭角に折る事にしました・(これは急遽決まりました)
3Dビューワで現物(仕上がり)を確認・・・画像がそうです。

一通りの図形作業が終わったら、今度は加工機に読ませる為のプログラム作業・・通称『CAM』を
作成します。此の作業は比較的簡単ね出来ます。だって・・殆どレーザーだから・・・

いざ”加工機へ・・って・・言ってもプログラム室の扉を開ければ直ぐそこの加工機は有ります。
作ったプログラムは指示書のバーコードで、ピーっと読ませます。材料はSUS316 1.2t

文字が微妙な大きさだった為・・抜きカスが引っかかり・・キズやら、ピアスの跡やら付いてしまい・・
8回位チャレンジしました・・(゚Д゚; 中々納得行く仕上がりでは有りませんでしたが・・
レーザー作業が終わると、今度は抜きバリを取ります、(バリ取り機でブラシも使用)
エッジがキツイので、端メ面はディスク(#240)で慣らします。

お次の工程は曲げ作業・・これはプレスブレーキを使用します。
前日に金型がセットされて居るのも確認済・・この辺は抜け目無い(笑)
端材で圧力の調整・・鋭角曲げは普通の型では曲がりません・・特殊な金型です。

曲がりなりにも、それらしき物が出来ました。

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今日はお休みの日でしたが・・・仕事でも有りませんでした・・
今、或る資格取得に挑戦すべく、必死にお勉強しています・・その講習がが今日・・初日を迎えました。
いきなり出て来る元素記号・・はぁ?Mg,Cu,Si・・・はて??なんじゃこりゃぁ~~状態でした・・
思わず、家に帰って子供の教科書(工業高校)を借りて、元素記号のお勉強してしまいました^^

呑んだくれてる暇は無いのですが・・今夜は何時も通り酔っ払いオヤヂであります。
明日、明後日と本腰を入れて勉強せねば・・今日・・いきなり練習問題をやらされました・・
合格範囲は70諭ΑΔいなり60点ではねぇ~・・・先が思いやられる^^

そんな訳で・・お約束の・・おねいさん画像の大盤振る舞い~~!
って・・恥ずかしくて(シャイだからねっ”)余り・・近寄れなかったのですが・・
遠くの方から・・の画像ばっかりで・・スビバセン””

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FUKUDAさんの記事にトラックバックのお返しになります^^
以前に訪れた記念館に飾られたクラブ旗が有ったのを思い出して・・一つはホンダスピードクラブ
後の、ブルーヘルメットになるのでしょうか?その辺は良く解かりませんが・・
先代社長、川島氏、や神谷忠氏、等の名前も見受けられます。
又、日章旗の方には、かの、八木静夫氏の名前なんかも見られます。

5年間の間に4回開催された浅間火山レース、その短かったような歳月の中で競われたレースに、
常に強烈な話題を与えてくれたのが、ホンダをはじめとする我が国のオートバイメーカーと、レーサー達で有った。
この高原レース場から幾多の名車と幾多の名ライダーが育ち1959年8月のレースを最後に、再びレースが行われる事は
無かったが、浅間火山レースの残したものは余りにも大きかった。
そうして、浅間高原のレース場は昭和52年3月を持って、その歴史を閉じる事になった・・・
やがて素晴らしいモーターサイクル物語の舞台となったコースは草が育ち牧草となった・・・
此の地こそ日本のモータースポーツを育んだ場所である事は、人々の心に永久に残されるに違いないと思います。

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