バイク命”呆れたおやぢのブログ

気が向いた時しか更新できませんが宜しくお願い致します 尚、帰宅が遅くなる為返コメが滞る事が多々有ります事をお許し下さい。

2006年01月

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講釈をたれる様で気が引けるのですが・・・W1と、W1Sを同じだと思っている方は居ませんか?
W1と、W1Sは似て非なる物・・・1966年6月号のモーターサイクリスト誌には・・NEW MODEL カワサキ650W1
と・・有ります・・そもそもW1はシングルキャブで、マフラーはキャブトンでない、昔のカブみたいな物
メーターはタコとスピードのコンビネーションその他はW1Sと外観的には変わりは有りません!
当時は、アメリカ輸出が目的だった為に、クローム鍍金部分が多く、クランクケースカバー類はバフ研磨が施されて居ます。
フロントフェンダーはステンレス製ですね・・

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オールキットと聴いて、ををっ”っと来る方が此のブログにどれ程居るかは定かでは有りませんが、
私が中学生の頃、この・・オールキットと言う言葉には酔いしれたものでした・・♪♪
確か、中学校2年の時に新聞配達で貯めたお金でYAMAHAの『AT1』のオールキットを先輩から譲り受けて
乗って居ました・・が・・そのバイクがバッテリー点火だった為、インナーローター仕様にすべく試行錯誤した覚えが有ります。

当時は、メーカーから出てるキット、それから『野口スペシャル』等『アラオカ部品』からは色々なキットパーツが出ていました・・過酷レースに耐え、豪快なテクニックを生かす数々のキットパーツ個人でも工場モトクロッサーに匹敵する高性能マシンを作り出せたのですね・・当時は・・

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何時もの私事です・・・・←きんどうさん”パクリました^^(わらう)
ブログも最近手抜きです・・・体調のせいも有るのですが・・・炬燵の横にノートPCが幸いにして有ります
わざわざ二階の寒い部屋に行かずとも更新は出来てしまいます。ワハハッ!!
しかし・・・・ネタとなる画像は全て二階のデスクトップに入ってしまっていますのです。
以前CDに焼いたデータを引っ張りだして、やっとネタを見つけました^^。

Z兇琉称で親しまれている名車が有りますが、私等が高校生の頃の呼び名はRSナナハンでした。
1973ー4年位のサイクリストに載っていた記事を抜粋したものです。
画像は明石の川崎重工のRSのE/G工場の様子です。ベンチテストもしっかりやっています。

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死にかけて居た書庫の復活です・・・と言っても画像だけですが・・(笑)

昼に整体医院に行って来ました・・・家内の仕事仲間の紹介で自宅から車で5~6分の所に有りました
え~~っ”こんな所に・・・・そこは普通の家で、小さな看板が立っているだけの所でした・・
ピンポ~~ン♪ドアチャイムを普通に鳴らす・・あのぉ~予約したゴードンと申しますが・・・
ああっ!ぞうぞ”と・・通されたのは普通の部屋に、それ様のベッドがポツンと一つ・・・
うつ伏せに寝てみて下さい!!ひゃい”←(何気に声が上ずってる)^^先生は年増の女医さんだったのだ・・
先生の第一声は、足の長さが左右違っていますねぇ~3~4センチ違います!それから足がしっかりベッドに付かない!くるぶし位の隙間が有る!先生は一瞬にして見抜いていました。

ゴキゴキ””ギャァ~~!!そんな事の応酬でしたが、揉まれていくにつれ筋肉が和らぐのが解ってくるから不思議だ”

患部は元より全身を揉み解して貰い、縮んでいた筋肉が解れて、すっかり体も軽くなりました。
また行こぉ~~~っと!♪

整体”ホォ~~~~~!!!

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今回は・・・先般、実施した大学センター試験のリスニング問題に匹敵する程、超難関だと思われます・・
丸さんこと、加藤清丸選手の先輩、スポーツライダー所属後に、かの有名なマウンテンライダースのリーダー的存在?
昭和19年11月17日生まれ、京都市中京区出身、個人でレースに出場し・・賞金で生活できる様な環境が
日本でも欲しい・・ヨーロッパに遠征・・・
そんな彼がレースに出場したのは中学生の頃、近所のモータースの人がダートレースに出場するので、見物がてら付いて行った・・ところが・・予選でモータースの人が負傷したので・・ピンチヒッターとしてして・・そのレースに出場するはめになったのだった・・・そんなエピソードがヒントになります・・

正解者には・・・・仕事が暇になった時に限り・・特性キーホルダーを作成しましょ”
因みに・・仕事が暇になる時は・・・5月以降ですが・・(笑)


そんな訳で正解者が居ない様なので・・・発表しましょう・///

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