バイク命”呆れたおやぢのブログ

気が向いた時しか更新できませんが宜しくお願い致します 尚、帰宅が遅くなる為返コメが滞る事が多々有ります事をお許し下さい。

2005年08月

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ブログがおかしい!!画像が出ない!!

試しにアップしてみます

やっぱ・・・ダメダ・・(   /   ー  ` ヽ  )クッスン

あ゛っ!!出てるぅ~~ヽ( ̄▽ ̄*)ノ・ ・.♪ヒャッホォ♪.・ ・ヾ(* ̄▽ ̄)ノ

画像は、YAMAHA『TYR250 85年車』場所は榛名山麓『船尾滝』周辺の沢です。
ハーフのヘルメットが当時を物語っています・・・

TLR200から乗り換えたばかりで・・・このバイクは、まるで魔法のバイクの様でした。
あれっ!俺って。。。こんなに旨かった??って感じでした。

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高校を卒業し、某車メーカーに就職した・・・某車メーカーは特にに大型車を扱っている大手である。
しかし・・・その大型の部門は300人中たったの20人だけが入れた狭き門だった・・
残りは、羽村に有る〇YOTA系の小型車の生産に携わっていた。騙された!!そんな筈ぢゃ・・

今はロボットが、鉄板をスポットでバシバシ止めているが当時は人間が一人で5~6台の
ハンディースポット機を使っていた。やる気も無いので・・結構ラフに止めて居たので・・当時は
その車だけは乗りたくなかった・・(笑)

そんな会社に見切りを付け、入社3ヶ月で退社し、2~3ヶ月間、カーショップでバイトした。
そんな折、友達が店まで遊びに来た、箱スカ(S,46年車)のGTだった。
元来、日産車が好きだったので、一目で箱スカファンになった。それ以来頭の中はスカG一色だ・・
スカGでも特にお気に入りと言うか、拘りは『4ドア』なのだ!あっち、こっちの中古車屋を尋ねて居たが
その友達が、自分の箱スカ(4ドア)を譲ってくれる事になった、願ったり叶ったり♪だ!!

早速、Rフェンダーをカット(GTR風)、アルミ(ワタナベ、マグ)車高を落とすetc.嗚呼。。若かったなぁ~
ある日、自宅の裏から物凄い爆音と共に友人が現れた、最初はブルドーザーが来たのか?と・・
錯覚するが・・何と””
乗って来たのはGTR(4ドア KPGC10)だ!!やられた!!そいつは・・紛れも無い箱スカオタクだったのである。

あれ~~・・何回やっても・・画像が出ません(涙)

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お早う御座います”すっかり、日が短くなりましたねぇ~・・8月も終りかぁ・・

昔、前橋のスナックで『バレンタイン』と言うお店が有って、良く足繁く通った・・
店には、ピアノが有り、マスターの娘が良く弾き語りみたいなものを演奏って居た。
歌うのは専らスタンダード系が多く、素人の我々のリクエストにも応えてくれたものだ・・

圧巻は、マスターのアルト(サックス)と昼間は傍を打ってると言う〇〇さんのピアノ
ヴォーカルはその娘だ♪群馬にはライブスポットなんて無い時代だったから凄く新鮮だった。

そんな訳で画像は、マイルスのマイファニーバレンタイン♪

* あっ”コメント頂いてる皆様。。時間が無くてレス出来ませんがお許しを!
後ほど・・・

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う゛ーーー”昨夜は暑気払いで飲み過ぎたかなぁ~(ーー;)
偶には、寝坊もしてみたいが・・駄犬が早朝より吠え捲くってる_(_^_)_
近所迷惑なので・・頭の痛いの我慢して散歩に出かけた・・

あぁ~何か日記みたいになっちゃた(~_~;)ありゃ?日記で良いのかな?
ダメダ~まだ酔っ払ってるかも・・

気を取り直して,イッテミヨォ~~

山本昌也選手は。。何を隠そう・・私と同い歳なのです。ま~隠してもしょうがないけど・・
彼は淡路島の出身で、高校時代はMR50に乗っていたとか・・
彼は最初、小さなバイクで生駒の山でヒルクライムばっかりやっていた少年だった
やがて・・チーム、アップダウンの南埜さんに見初められ、RSC契約ライダーになり
5年連続、全日本チャンピオンの金字塔を成し遂げたのだ!

画像は真壁にて・・マシーンはRTL250SW(ワークスマシーン)だ”

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4サイクル全盛の今、2サイクルが闇に葬られて行くのは一抹の寂しさが有る。
自分もそうだ・・マッハ靴忙呂泙蝓∈持ってるトライアル車も2サイクルである。

中学生の頃、近くの河原でモトクロスレースが有り、そこではウットリするような匂いがした・・
そうです。カストロールの匂い・・あの何とも言えない臭いに、思わず深呼吸したくなる程好きだった。

私が中学生の頃と言えば、SUZUKIの天下だったと記憶している。工場レーサー『RH』を筆頭に次々と
有名ライダーを輩出していた。矢島金次郎、吉村太一もそんな一人だった!
そんな頃、国産初の市販車モトクロッサー『TM250』&『TM400』が発売になった。河原のレースではスタート前にTMのデモ走行が
繰り広げられた。改造マシーンを尻目にTMの放つ光は中学生の自分も興奮したものだ。

前置きはこのくらいにして。
画像は1980年代、桶川での全日本大会です。光安選手は自分と歳はそう変わらないのにキャリアは長い
国際A級がまだ無い時代の『セニア』だった。今ではセニアならぬ『シニア』で頑張ってるとか・・

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