1975年9月9日フランス"ルマンのブガッティーサーキットでは
ボルドール24時間耐久レースを間近に控えて
参加ティームのテストランが繰り返されて居た、大レース前の緊張感が
サーキット全体に張り詰める中、隅谷守男の駆るCB500改は午後の練習走行へ
と・・・・ピットロードを加速して行った・・
ファーストラプ、各部のチェックの為にペースを落として居たとは言え、聴き馴れた
CBエキゾーストノートは快調にブガッティーサーキットに響き渡って居た・・
セカンドラップ、隅谷はCBのペースを上げた”排気音は更にトーンが上がりCBは
矢の様にピット前を駆け抜けて行った・・テストランは順調の様で有ったが・・・
事故は余りにも突然に、隅谷に襲い掛かった・・一瞬の出来事だった・・
 
此処からは・・Nさんから聴いた話です・・
事故そのものは、凄まじいものが有ったが・・横たわる隅谷選手には・・
外傷はそんなに目立たなかった・・がしかし・・・
大腿骨が折れて心臓に突き刺さっていたと言う・・
 
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かつては【静かなる男】と言われ続けてきた隅谷、愚直な性格がそのままに・・・
 
無口で体格のいい隅谷が懸命に練習に取り組む姿は先輩達のサディスティックな
悪戯心の標的になる事も多かった・・
ある夏の日、隅谷は何時もの様に押し掛けの練習をしていた・・
それを見ていた先輩がキャブレターのファンネルにキャップをしたマシンを隅谷に与えた
キャブを塞がれたエンジン掛かる筈が無い、隅谷はそんなマシンを押し続けた・・
真夏の炎天下である・・それでも隅谷は音を上げなかったと言う・・
ヘドを吐くまで頑張り通したのだ”
 
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隅谷選手は・・ロードに入る前には・・MXに身を置いて居た・・
これは、その当時の貴重な画像です・・Nさん曰く・・当時は大会場で隅谷選手と
MX会場で良く一緒になった事が有ったのだとか・・
氏曰く・・兎に角隅谷選手は、早かったそうです^^
 
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群馬県は伊勢崎市(旧境町)の出身”かつてはワタシの住んでる場所・・同じ佐波郡
Nさんが彼の家にお邪魔した時に見つけたタイヤ・・・
 
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↑この減り方は尋常ではありませんっ”
もう少しの所で・・く〇屋さんに処分される所だったったのだとか・・
処分っ!?っと・・とんでもないっ!!奪う様に持って来たと言う・・・
 
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ブルーヘルメット時代のワンショット・・隅谷の直ぐ上の御仁は・・神谷忠氏・・
プロを抜いてやるが・・かれの口癖となって居た・・
がしかし・・プロライダーの現実は厳しかった・・何度もプレッシャーの押し潰されそうになった・・そんな隅谷の心の支えとなったのは、神谷が勧めてくれた、【宮本武蔵】と
【巨人の星】だったかも知れない・・
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このヘルメットこそっ”当時のそのままの傷跡だ!
因みに・・後部のサインは・・このゼザインを担当した方が自らサインしたのだとか・・
知る人ぞ知る・・彼は・・アイルトンセナのメットのゼザインも担当した強者だ”
筆者はヘルメットを見るなり・・合掌してからサインをしたのだとか・・
画質を大きくして有りますので・・虫眼鏡で確認してみて下さい^
 
百歩譲って・・ワタシが・・群馬県知事だったならば・・
間違い無く・・隅谷さんの功績に敬意を表して・・県民栄誉賞を捧げたい”
何だか・・大袈裟だが・・果たして・
一体・・県民のライダーで・・隅谷選手の事を知ってるライダーが居るのか・・
甚だ怪しいが・・こんな素晴らしいライダーが群馬・・それも自宅から近くに居たって事は・・自分に取っても誇りである”是非・・こんな素晴らしいライダーの存在を埋もれさせて仕舞うのは悲しい・・・