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ヤフーのセリで・・・」私が生まれる前の昭和32年物カが5,000円で出ていました・・・
先日、落とした1960年物カが1000円だったとしても・・ちと高過ぎるかなぁ~
しかし””しかしである・・その本には・・あの浅間火山レースの記事がリアルタイムで載ってるでは有りませんか!!
すかさず、飛び付こうと・・思いましたが・・安月給私には。・・余りにも高値・・

昔のMC誌の別冊1979年1月号に、モーターサイクリスト誌初代社長の『酒井文人氏』のコメントが紹介されていました。
私の様な若輩者が『浅間』を語るなんて・・気が引けますが・・氏に成り代わって書き込み致します。

昭和33年第3回浅間火山レースを中止すると正式に決まったのは、此の年の1月も終わりかけた、
東京にも珍しく小雪が舞った日だったが、私は密かにこの日を待っていたのだった・・
恐らく、今年は中止になるであろうーーそうすると、浅間高原のテストコースには夏草が生える事になり
国産車の性能向上の為に建設したと言う、にしきの御旗も色褪せてしまうではないか・・・
と言うのが私の意見で有った・・
当時私は34歳・・血気盛んな駆け出し時代で、社長となり、スタートして半年程過ぎた所だった・・
同業誌の『モーターファン』『オートバイ』はともに内容も充実したマガジンに育っていたが、我モーターサイクリスト誌は
内容も貧弱で実売1万部前後の頃だった・・出版社と言っても、何の組織も資産も無く
京橋の明治屋裏の木造二階建ての1室(6畳ほど)がオフィスで、粗末な木机が4つばかり並べて有るだけだった。
こんな経営規模であった小社が、浅間高原でレースを主催すると発表したしたのだから、騒ぎは大きくなった!

続く・・