バイク命”呆れたおやぢのブログ

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jazzが好きだ!と言う私ですが・・実は只のミーハーなのです。
まぁ~昔から趣味の世界は・・広く浅くがモットーなので・・

さて、真空管のアンプで夜中、バーボンを片手に・・しんみり聴く
サラボーンは溜まらない!!当然部屋の明かりも真空管の球の明かりだけである。
SIDI-1に収録されている『LULLABY OF BIRDLAND』は
モダンjazzの名曲の一つとして知られている。
サラの歌唱力はもとより、バンドメンも卓越なミュージシャンが揃っている
特筆すべきは、クリフォードブラウンのトランペットだろう・・
彼女のスキャットとブラウンの掛け合いもシビレル!!♪(^^♪
曲の後半部の駆け引きも非の打ち所が無い!

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10ポンドの1929年式ポンコツは15歳の少年、サミーとモーターサイクルとの
最初の出逢いであり、又トライアルの神様サミーミラーの出発点ともなった。

1974年8月号のモーターサイクリスト誌を抜粋した物である
当時自分はトライアルと言うよりはモトクロス命だった
矢島金次郎(ヤジ金)吉村太一(RS,タイチの社長さん)、鈴鈴木忠男(忠さん)etc.
と言った記事を食い入るように見て居たが・・
今となっては若気に至りとでも言おうか、そもそもトライアルの素晴らしさを
知る由も無かったのだ!って言うか当時は同じオフロードでもトライアルには
あまり興味が無かったのだろう・・
極論すれば、何処かのおじさんがバイクに乗って楽しんでる
その位の感覚で観ていたのだ。
結局モトクロスのスピードと根っからの根性無しの結果
一斉にスタートするバイク競技には
自分は向いてないのだ!と・・思い知らされたのだった。
何年か経って、自分がトライアル大会に出て一人一人スタートする
そんな競技(レースでは無くてコンペ)が自分合って居たのだった。

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最近、朝起きるのが早い!!歳を取った証拠ですなっ!(笑)
1986~87年当時はトライアルに最も本腰を入れてた時期だ・・
県内でも有数なトライアル練習場所、通称 『水沢』には良く通った
一緒に練習してた会社の連中が皆、渋川方面て事もあり
また、此処は県内では・・老舗中の老舗、県内TL界の草分け的な
チーム、上州トライアルのメンバーの練習場所としても知られていた。
周りは、皆緑のゼッケン(国際B級)と赤いゼッケン(国際A級)の人達ばかり。。
黄色いゼッケンなんて皆無に近いのである。我々が難しいセクションを作って
何回も何回も挑んでもクリーンが出ない!そこへあの方達がやっています
下見もしないで1発クリーン♪あぁ~~あ!出るのは溜息ばかりだった!
今は、あの沢も整備されて面影は無いが偶に出かけると、あの当時の事を
思い出す。

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自家用車は2台ともHONDA車です・・もー一台は、stepwagonです。
流石にE/Gは素晴らしいと思いますが・・車体はイマイチかもっ?
雑音は日常茶飯事、タイヤは片減りするしでE/G以外はあまり良い所が
有りませんが・・以前にはハイエースに乗ってましたが、殆どトラブルフリーでした
バモス(バモちゃん)は購入する時に、営業の人に言われました・・・
ターボ付いてないと・・伊香保の坂は登りません””とキッパリ言われました!
スライドドアーの不具合等有りましたが・・元気良く走っております。

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確か1973年位だと思うが・・当時、サミーミラーが
開発に携わったこのマシーンは、SL125をベースにトライアラー的な
味付けをしてトライアル第1次ブームを大いに盛り上げた!
当時とすれば珍しい、アルミリムやポリプロピレンフェンダーを
多様して軽量化している。

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