バイク命”呆れたおやぢのブログ

気が向いた時しか更新できませんが宜しくお願い致します 尚、帰宅が遅くなる為返コメが滞る事が多々有ります事をお許し下さい。

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時間を間違えて、こんな時間に起きてしまった・・・まぁ~何時もよりは1時間早いだけだが・・
やっと梅雨らしくなったみたいで、さっきから雨音が聞えるくらい良く降る。
さて仕事の方だが、相変わらずの忙しさだが・・新型機械の入れ替わりに伴い
CAM操作もヴァージョンアップしたのである。今までは全て金型を使用してプログラムを作成していたが
今度の機械は複合機なので、レーザーも使える優れものなのだ・・故に今まで悩んで試行錯誤
していた所がかなり楽になるのである。例えばR曲線、スリット、異型穴etc.
CAMの画面では、アイコンが大分増えた・・なんじゃこりゃ~??毎日が驚きの連続だ!
でも、操作して行く内には、そんなに難しく無い。後は機械側の条件設定を如何に引き出すかが
鍵となる。約15年間今のマシーンと付き合って来た訳だが、最後の最後まで良く働いてくれる・・
まぁ~自分で言うのも可笑しいが、メンテナンスは良い方だと思う。お世辞かも知れ無いが機械屋の
お兄さん達も口を揃えて、この年代にしちゃ~程度が良い”車で言えば《ワンオーナー》と言った所だろう。
今日を含めてあと二日・・今まで使って来た機械がいとおしい・・・

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このアルバムは1957年3月にマックスローチ・クインテットの一貫として
ロリンズカがWaistへ初めて旅をした時自然の成り行きで作られた。
しばしば、彼はピアノ抜きでレコーディングをしたいと思っていた・・・
piano 抜きのトリオって・・こんなに新鮮だったのか・・改めて感動を覚える

以後ラナーノーツより

マンとブラウンは(シェリーマン、レイブラウン)は昼間はstudioでレコーディングの用が有った為
セッションは午前3時に召集された・・3人はそれ以前には一緒に演奏した事も
レコーディングした事も無かったが、それでもソニーが自分が演奏したいと思う
幾つかの音を出して行くにつれ次第にレイとシェリーはそれをやり遂げるのに
夢中にする様になり3人は完全な一致点に達したのだった”

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そう言えば。。コレクションホールの画像がすっかり更新されてなかった(~_~;)
'61年世界選手権ロード、第2戦西ドイツGP250ccで、日本人ライダーによる初優勝をもたらしたマシン。出場した10戦で全勝、初の世界制覇車。(優勝車 No.100 高橋国光)
いやぁ~~溜息出ますわぁ~(^^♪

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去年のタイムトンネルの画像ですが・恥かしながら・・この方『BMWに跨ってる人』が
谷口氏だとは知りませんでした・・浅間時代、マン島では大活躍でした
無知な私をお許し下さい!前述している通り、若いときはOFF専門でして・・
それこそ・・矢島金次郎、吉村太一、鈴木忠男・・後は眼中に有りませんでした”
これは、ヤマティーさんのパドック周辺だったと思います

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今から約25年前(四半世紀前)になる・・それは突然訪れた
ディーラー勤めの時の社員旅行での事だった・そもそも社員旅行は全体(全社員)
と、各営業所ごとに分かれて一年置きに行くのがしきたりだった・・
東京ディズニーランドがまだ出来て間もない頃の話だ”全体だと話がややこしくなるが
営業所だけなら話は早い!遠くばっか行くのが旅行ぢゃ無ぇ~や!
って事で昼はディズニーランド、泊りは銀座【キャピタルホテル】夜は自由行動♪
兼ねてより、ライブスポットに憧れを抱いていた私だったが、同部屋の先輩を
無理矢理誘い、地下鉄にて、六本木を目差した。『PITT IN』は新宿と
六本木に有る、当時は有名なライブスポットだ”躊躇しながらPITT INのドアを開けた
何とも言えない雰囲気だ・・早速ライブを聞き入る♪・・そこで演奏していたのは
『ジョージ大塚&マラカイボ』の面々だった!何も外人ばかりがJAZZではない””
日本にもこんなミュージシャンが居たなんて・・良く観ると、当時タモリの〔今夜は最高〕
に出ていた、The プレーヤーズの 山口真文、松木恒秀両氏が参加していた
演奏もエンディングに差し掛かり、帰り支度をしていたら・・店員が先輩の方を見て
話しかけてる・・ををっ!〇〇ぢゃないかぁ~・・どうやら二人は高校の同級生だった
らしい・・久しぶりに意気投合した我々は閉店まで居て『ジョージ大塚&マラカイボ』の面々と
生意気にも握手を交わして、六本木の飲み屋へと雪崩れ込んだのだった!

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