バイク命”呆れたおやぢのブログ

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1980年代を語るに、このマシーンの存在を忘れてはならない!!
RS250TW・・・言わずと知れた山本昌也選手(同い歳)が、全日本選手権で活躍したマシーンだ!
私がこのマシーンを最初に見たのは1983年の鶏頂山(栃木)大会だった!
トライアルを始めるのにあたり、先ずはマシーンチェックとライディングのチェックみたいな感覚で出掛けた
ディーラー勤めだったので、多少はメカ的な事は解かってるつもりだった・・
全く無駄の無いバランス、研ぎ澄まされた車体は素人目ににも直にワークスだと解かった”
同じ大会には、服部聖輝が駆るTLR(プロトtype)も有ったが、その比でない!観ていて怖ささえ覚えた
翌年も、鶏頂山の全日本に行ったのだが、それはYAHAHAの逆襲の始まりだった・・
その話は、後ほど・・

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1976年の全日本MX選手権第1戦『矢田部』まだ国際A級とかB級とか無い時代だ”
セニア=国際A級 エキスパートジュニアが今の国際B級・・・ワークスなんて呼ばないで
工場レーサー等と呼んで居たそんな時代です。今から30年も前の話なので・・
お解かりになられる方も少ないのでは?と思っています。
この年からこのマシーンを駆る事になった鈴木秀明は、ホンダ技研最高顧問(本田宗一郎)
の息子(本田博俊)の経営する4輪チューニングSHOP”無限”の開発したCR125M
に乗る事になった。SHOWのフロントフォークはストロークが長くなり、リヤは彼の走りに合わせて
開発されたと言う倒立クッションが付いていた。第一戦には250CCの開発が間に合わず
125CCだけのエントリーとなった。

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鈴木秀明と言えば、私等の時代のヒーローでした!しかし、中学、高校と全日本まで行く足が無かったので
泣く泣く、雑誌での観戦と、なっていました。Fフェンダーに『迷わず、飛べっ!!』て書いてあったそうですが、彼らしい一面ですね・・晩年は桶川のコースやら、長野のコース辺りで見かけた事が有りました
自分等が観に行った頃は、弟の都良夫氏がA級(セニアでない)で活躍してました!
さて、このホワイトの無限のマシーン。。確か無限が始めて出したMXマシーンだったので無いでしょうか?
友人は、浅間のテストコースにて撮影したって言ってました・・

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彼のライディングは、ダイナミック且つ繊細な見ていて非常に気持の良い乗り方でした。
1980年代前半辺りに活躍されていた選手ですが、何かのアクシデント?で
バイクには乗れない体になってしまったとか?晩年は全日本等のコースコーディネーター等を
手懸けていました。最近ではトライアル・・と言っても車のトライアルに力を入れている様子です・・

http://allstaer.hp.infoseek.co.jp/report04.6th.htm

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何故に白黒写真なんだ!と・・お怒りの諸兄も居るかと存じますが
当時カメラ撮影していて、丁度フイルムが終ってしまい、出店に駆け込んで
売って無いフィルムを譲って頂いたのでした・・『ネオパン』だけど・・・
訳も解からず、撮り捲くっていました・・こんな時程ピントカがバッチシ♪
画像は確か、杉尾良文選手かと思います・・マシーンもスイングアーム等観る限り
ワークス(HRC)マシーンの様です。彼は晩年、政治の世界へ足を踏み入れたと・・
認識していますが、現在は如何なされているのでしょうか・現役続行だったりして・・

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